和歌山湯浅ワイナリーについて
新たな発酵文化を目指したワインづくり
約750年の発酵文化が根付く醤油発祥の地・湯浅に最新の設備を構え、ワインをつくっています。


純和歌山県産のワイン「和」、最高のぶどう×設備×醸造家×場所でつくる日本ワイン「TOA200」、和歌山の果実を使ったワインリキュール「勹果」などの製造・販売を行っています。
醤油、味噌などに続く発酵食品としてワインをつくり、湯浅の発酵の歴史を新しいステージへ。ワインづくりを通じて、地域の活性化に貢献して参ります。

フルーツ王国・和歌山の魅力を届ける

雄大な太平洋に面し、 黒潮の影響から1年中温暖な気候で日照時間が長く、果物の栽培に適した土地、和歌山。
古くからたくさんの果物が作られており、代表的な有田みかん、みなべ田辺地域の梅、 紀の川沿い桃山町の桃など、どれもみずみずしく香り高い自慢の果物ばかりです。

それぞれが色とりどりの花をつけ、小さな実がなり、小鳥たちがたわむれ、あたりにただよう香りで熟したことを知る。 果物の成長で季節を感じることができる。そんな豊かな和歌山でワイン作りに励んでいます。
醸造の町・湯浅の発酵文化の継承と地域活性化を

歴史が息づく、醤油発祥の地・湯浅。湯浅ワイナリーは伝統的建造物群保存地区からほど近い場所にあります。伝統ある発酵文化の継承と地域の活性化のため、ここ湯浅町に創業しました。
【第1章 運営会社(株式会社TOA)の原点】
和歌山湯浅ワイナリーを運営する株式会社TOAは、1949年、有田の地で創業しました。事業の出発点は石油精製所の構内業務。高い安全性と確実な品質が求められる現場で、70年以上にわたり“見えないところで信頼を支える技術”を積み重ねてきました。この歴史の中で育まれてきたのは、「誠実であること」「守るべきものを守ること」、そして「未来に残すべき価値のために行動する」という企業姿勢です。
TOAが「地域の企業」として歩み続ける中で、一貫して考えてきたことがあります。それは“自社が存在する意味は、自分たちだけの利益ではなく、この地域の未来にどのような形で貢献できるか”という問いです。和歌山で生まれ育った企業だからこそ、変化の時代にも“地域とともに残る価値”を育て続ける責任がある──それが、経営の中核となる思想となりました。
石油需要が縮小局面に差し掛かり、産業構造が大きく変わりはじめた頃、TOAは自らの役割を改めて問い直すことになります。「産業が変わるなら、私たちもまた、地域のために変わらなければならない」。この気づきが、次の挑戦への第一歩となりました。
そのとき見つめ直したのが、“和歌山という土地そのものの価値”です。工業の土台が「技術」だとすれば、和歌山にはもうひとつ揺らぎない土台、「自然と文化」があります。この土台を次の世代へ渡すために、TOAは“地域に根差した新しい産業”をつくることを決断します。
こうして生まれた挑戦が、現在へと続くワイナリー事業です。
それは単なる多角化ではなく、“地域価値の継承”という答えのかたちでした。
和歌山湯浅ワイナリーは、企業としての歴史や数字から始まったのではなく、「なぜ和歌山で、なぜ未来へ残す産業をつくるのか」という問いから生まれた事業です。だからこそ、ここで造られるワインには「企業の物語」が宿っています。TOAのワインづくりは、地域に支えられてきた会社としての恩返しであり、未来の和歌山への贈り物なのです。
【第2章 ワイン事業は“新規事業”ではなく“使命”】
株式会社TOAがワイン事業へ踏み出した背景には、「会社の存続のため」だけでは語りきれない想いがあります。それは、“地域の未来を守るために、自らが新しい役割を引き受ける”という決意です。
石油業界が構造転換を迎え、産業の姿が大きく変わっていく中で、TOAはひとつの問いに向き合いました。「もし、このまちから石油関連の仕事が減っていった時、地域の次の時代を支える産業は何か?」──この問いこそが、ワイン事業の出発点となりました。
和歌山という土地を改めて見つめ直すと、この地域の最大の強みは“自然と食の豊かさ”にあることに気づきます。温暖な気候で果樹が育ち、海や山から多様な恵みがもたらされる。これは一朝一夕に生まれるものではなく、長い時間をかけて自然と人の営みの中から育まれてきた“資産”です。
ワインは、この資産を“最も分かりやすく表現できる産業”です。
原料であるぶどうは土地そのものを映し出し、発酵という自然の営みが味わいをつくり、飲む人に地域の物語を届ける。つまりワインづくりは、「和歌山という土地そのものをボトルに込めて伝える仕事」と言えます。
TOAがこの産業を担うことに意味があるのは、単なる飲料づくりではないからです。守られるべき文化を未来へつなぎ、地域資源を活かし、若い世代が希望を持って働ける新しい産業を育てる──そうした“地域への責任”を本気で果たす覚悟が、このワイン事業には込められています。
つまり、ワイン事業は「脱石油」のための逃げ道ではなく、「和歌山に次の100年をつくる産業」を引き受けた挑戦です。だからこそこの事業は、TOAにとって“新規事業”ではなく、“使命”に近いものとして位置づけられています。
ワインは飲み物である前に“土地の翻訳者”であり、“文化の証人”です。
そしてこの挑戦は、和歌山湯浅ワイナリーという名前とともに、次の章へとつながっていきます。
【第3章 なぜ“湯浅(和歌山)”でなければならないのか】
和歌山湯浅ワイナリーがこの地で生まれた理由は、とてもシンプルでありながら奥深いものです。それは、「和歌山という土地そのものが、ワインの物語の核だから」です。
湯浅町は“醤油発祥の地”として知られています。鎌倉時代、宋(中国)から伝わった「醤(ひしお)」という発酵技術が、日本における醤油文化へと発展したのがこの町でした。最盛期には90軒を超える醤油蔵が並び、まちはまさに“発酵の都”と呼べる姿を見せていました。麹の香りが風に乗り、蔵人の仕事の音が日常をつくっていた──湯浅には、そんな歴史の記憶があります。
しかし、時代の変化の中で蔵は減少し、その文化を支える担い手も少なくなっていきました。“文化”とは建物ではなく、人の営みそのものです。だからこそ本当の意味で文化を守るということは、「次の形へ引き継ぐ力」でもあります。
ワインもまた“発酵”の産物です。自然との調和の上に成り立ち、原料となるぶどうは土地そのものを映し出します。湯浅(和歌山)の歴史が育んできた“発酵の精神”と、ワイン造りがもつ“土地の表現力”は根本で同じ方向を向いています。だからこそ、この場所でなければいけなかったのです。
さらに、湯浅は「人の文化」だけでなく「自然条件」もまたワインづくりに適しています。海と山が近く、潮風が土地を通り抜け、気候はぶどう栽培に必要な温暖さと湿度のバランスを備えています。和歌山全体が持つ“果実を育てる土地力”と、湯浅の“発酵文化”が重なり合う場所──それが現在のワイナリーの土台となりました。
ゆえに、和歌山湯浅ワイナリーは“工場”ではなく、“文化の継承地”です。
ここで造られるワインは、単に味わいを追求した商品ではなく、「土地と人の営みが紡いできた歴史の延長線上にある存在」だと言えます。
【第4章 和歌山湯浅ワイナリーの哲学と醸造体制】
ワインづくりは「技術」だけで成立するものではありません。原料のぶどうが“畑の記憶”を宿し、その後の醸造が“造り手の思想”を映し出します。和歌山湯浅ワイナリーが最も大切にしているのは、この“思想”の部分です。目指しているのは、大量生産ではなく、“土地の物語がそのまま感じられるワイン”を育てることです。
■ 小型タンクが支える「個性を尊ぶ醸造」
和歌山湯浅ワイナリーでは、大型タンク中心の大規模生産は取りません。理由はただひとつ──ぶどうの表情を見失わないためです。小型タンクを多数揃えることで、品種・収穫時期・果実の状態にあわせた最適な仕込みが可能になり、土地ごとの違い、畑ごとの違い、年ごとの違いを「大切な個性」として生かすことができます。
■ スパークリング醸造設備という“幅”
さらに、瓶内二次発酵方式に対応したスパークリング設備を備えている点も、当ワイナリーの大きな強みです。これは関西圏でも限られた設備であり、土地の個性を泡という形で表現することを可能にします。
「白・赤・スパークリング」――カテゴリーが多いのではなく、“表現できるテロワールの幅が広い”ということです。
■ OEM対応=「地域と文化を共につくる器」
自社商品だけでなく、少量(12本~)からのOEMにも取り組んでいます。単なる委託製造ではなく、“その土地・その人・その想い”に寄り添った小ロット醸造。これにより、地元の農家、飲食店、地域団体などが“自分たちの物語を持つお酒”をつくることができ、ワイナリーが地域文化の“発酵ハブ”となる役割を果たしています。
■ 醸造は「設備」ではなく「人」が完成させる
醸造を担うのは、40年以上の経験を持つ醸造家です。温度管理、発酵進行、熟成の判断、樽使いの妙──これらは本来「仕様書」で行うものではなく、“経験と哲学”によって決まります。
ワインは自然相手であり、毎年条件が違います。だからこそ必要なのは、“決められた処方”ではなく“状況を読む力”。これはまさに、工業分野で長年「安全管理」「品質保証」を追求してきたTOAのDNAと同じです。ワイン造りにも、同じ誠実さを宿しています。
■ 哲学の結論
―― 和歌山湯浅ワイナリーのワインは「造る」ものではなく、「育てる」もの。
その姿勢があるから、次章から語られる“畑の物語”が意味を帯びてきます。
醸造所の中だけでは語りきれない、このワイナリーの根幹。
その答えが、この後の「畑づくり」にあります。
【第5章(前半)畑づくり① ― 須谷の段々畑、最初の挑戦】
和歌山湯浅ワイナリーの畑づくりは、2014年、有田市宮原町の須谷(すがい)地区から始まりました。みかん栽培が途絶え、草木が伸び放題になっていた段々畑を再び農地として蘇らせるところからの出発でした。
段々畑は、美しい景観とは裏腹に、耕作には大きな労力を要します。機械が入らない傾斜地では、草刈りも土づくりも、すべてが手作業。石や残根を一つ一つ取り除き、かつて果樹が深く根を張っていた硬い土を再び呼吸させるように耕していく。これは単なる農作業ではなく、“土地を再び起こす”という営みでした。
この最初の挑戦では、主に赤ワイン用のメルローを植えました。フランス系品種であり、和歌山の温暖な気候にも比較的適応するだろうと考えられたためです。実際に育ててみると、メルローは元気よく生育し、果実も良い状態に実りました。
しかし、同時に大切な学びも得ました。和歌山の気候風土のもとでは、メルローの色調はフランスのような濃い赤ではなく、美しいルビー色に仕上がる。味わいも力強い重厚タイプではなく、和歌山らしい柔らかさと果実味を持った“飲みやすい赤”になるということです。これは欠点ではなく、「土地がぶどうの個性を変えていく」まさにテロワールそのものの作用でした。
その後、テンプラニーリョやカベルネ・フラン、白品種としてピノ・グリ、リースリング、ビオニエ、マルヴァジア、シャルドネにも挑戦しました。しかし、気候適応の観点ではシャルドネ以外は安定栽培が難しいことも明らかになりました。“いかに適した品種を見極めるか”という課題を、畑そのものから突きつけられた経験と言えます。
須谷の畑は、この10年間で大きな成果をもたらしました。それは“収穫量”ではありません。“理解”です。
和歌山の土地が求める品種、土壌の個性、病害の傾向、剪定や枝伸びの特性──実地経験が、次へつながる“栽培哲学”を育ててくれました。
この第一章の畑づくりは、一枚の土地の整備を超え、「和歌山のテロワールを体得する10年間」でもありました。ここで得た知見が、次に進むための確かな道標となります。
【第5章(後半)畑づくり② ― 千葉山、第二の挑戦へ】
須谷の段々畑で10年間向き合い続けた結果、一つの確信にたどり着きました──「和歌山には、和歌山に最も適した畑があり、そこには最も適したぶどうがある」。この理解をもとに、次なる挑戦として2023年に動き出したのが、有田川町・千葉山での新たな畑づくりです。
千葉山は、有田と海南の中間に位置する、標高の高い山地です。強い日差しと冷たい夜気による大きな寒暖差、湿度が低く風通しが良い気象条件、そして将来的な機械化にも向く緩やかな傾斜――これらの要素がそろう場所は、実は和歌山広しといえど多くありません。まさに「和歌山のテロワールを最大化できる理想的な地形」と判断し、ここに1.5ヘクタール(のちに拡張予定)の耕作放棄地を借り受け、再び土地の再生から挑戦が始まりました。
2023年秋。ボウボウに茂る草木を刈る作業からスタートしました。次に、土の通気性と根張りを阻む大きな石を取り除き、土の表層をほぐしてゆるめる――。半年に渡るこの作業は、まるで土地の眠りをひとつずつ解いていくような手仕事でした。この整備には、ワイナリー部門だけでなく、TOA本体の石油・エネルギー部門のスタッフも加わり、「会社全体で未来の畑をつくる」形となりました。これはTOAらしい栽培方法であり、技術の会社が“土地を育てる段階”から本気で挑んでいる証でもあります。
加えて、この千葉山での取り組みには心強い専門家の存在があります。栽培指導を担うのは、志村富男氏――国内屈指の葡萄栽培のプロフェッショナルであり、生食・醸造・土壌改良まで一気通貫で指導できる稀有な存在です。
さらに2023年には、志村氏と共に多くのワイナリーの立ち上げを成功へ導いてきた萩野敏明氏が栽培リーダーとして参画し、畑づくりの実務を支えてくれました。
品種選定も、ここから本格的に「和歌山のテロワール」に軸足を置いたものへと進化しました。
● 赤:マルスラン(2024年春に1,100本植栽)、富士の夢、紀州の夢
● 白:シャルドネ、奇跡の雫(山葡萄 × リースリング)
これらは「世界基準のぶどう」ではなく、「和歌山基準のぶどう」です。土地が求めるもの、和歌山らしさを映すものを選び抜いた結果、このラインナップに行き着きました。
もちろん、挑戦は順風満帆ではありません。2024年にはマルスランが晩腐病に見舞われ、収穫量はごくわずかに留まりました。しかし、それでも葉付きや枝勢は力強く、病害が落ち着く前までは驚くほど健全に育っていました。それは、土地のポテンシャルと選択の方向性が間違っていない証拠でもあります。奇跡の雫、富士の夢はいずれも順調に生育しており、来夏には“新たな和歌山の味”として実を結ぶことが期待されています。
須谷での10年で「風土」への理解を、
千葉山での挑戦で「未来」への土台を得た。
畑はまだ完成ではありません。いまなお“育てている途中”です。
しかし、その途中こそが、和歌山湯浅ワイナリーの物語そのものなのです。
【第6章 商品ラインナップ ― “風土の味”を形にする】
畑づくりの哲学があるからこそ、和歌山湯浅ワイナリーの商品は単なる製品ラインナップではなく、「土地の表現の違い」として存在しています。私たちが扱っているのは“お酒”ではなく、“風土を届ける媒体”です。ラインナップは大きく3つの系統で構成され、それぞれが異なる役割と思想を持っています。
■ ① TOA200シリーズ(国産ぶどう × 湯浅醸造)
日本各地の優良産地(山梨・長野など)のぶどうを厳選し、湯浅の醸造技術で仕上げるシリーズです。品種の特性や全国トップクラスの産地が蓄積してきた栽培技術を尊重しながら、“和歌山で表現する”ことによって別の魅力を引き出します。
このシリーズは、いわば“いまこの瞬間の日本ワインのベンチマーク”でもあります。高品質な果実味や品種の個性が明確に現れるため、「醸造の力量」ではなく「哲学の実装」を可視化できるシリーズとも言えます。
※将来的には自社畑ワインの礎となる指標としても機能。
■ ② 和シリーズ(自社畑 × 風土の表現)
須谷・千葉山という畑での挑戦から生まれる、“和歌山のテロワールを映すシリーズ”です。気候・土壌・風・栽培法のすべてが“和歌山である理由”となり、品種の個性が土地柄と溶け合って表情を変えます。
和シリーズは、量ではなく記憶に残る味。
毎年同じ味でなくていい、むしろ“その年の和歌山”であることが価値――そういう思想から生まれたワインです。最も“ワイナリーらしさ”が表れるボトルとも言えます。
■ ③ 勹果(ほうか)シリーズ(和歌山の果実 × 飲みやすさ)
温暖な和歌山は「フルーツ王国」。この地域の強みをそのまま体感できるのが果実酒の勹果シリーズです。ワインベースでありながら香りや果実感を楽しめるため、ワインに馴染みの薄い方にも親しみやすく、ギフトや地場産土産としても評価されています。
“気候風土 × 生活文化”という次元で見ると、勹果はワインと同じ文脈にあります。つまり勹果もまた、“和歌山という土地の延長線上にある飲み物”です。
■ 商品ラインナップに共通する軸
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軸 |
内容 |
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風土性 |
産地 × 土地の対話 |
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誠実性 |
無理に作らない、足りない年は足りないまま |
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物語性 |
畑・人・地域とのつながり |
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継承性 |
和歌山の産業として根付けること |
これらはすべて“ものづくりの延長線”ではなく、“風土づくり”なのです。
【第7章 地域共創 ― ワイナリーは“地域の未来装置”である】
和歌山湯浅ワイナリーが担っている役割は、「お酒をつくる」だけではありません。私たちが実現したいのは、“地域の価値を次の世代につなぐ循環”です。そのため、ワイナリーは「農業」「観光」「教育」「文化」を結びつける“地域共創のハブ”として機能しています。
■ 農業:土地の力を取り戻す
みかん畑の放棄地をぶどう畑へと再生し、農地としての息を吹き返させること。それは単なる作付けではなく、“景観・文化・農の継承”そのものです。
栽培面では耕作放棄地の再利用、土壌改善、品種選定、専門家との連携といった取り組みを通じて、「和歌山の農業におけるワイン用ぶどう」という新たな柱づくりに挑んでいます。
■ 観光:来訪の「目的地」から「物語地」へ
観光地としての価値は“見どころ”ではなく“意味”によって高まります。
ワイナリーには見学・試飲・購入以上の体験があります。それは、「土地の物語を味わう時間」。湯浅・有田に訪れる価値を高め、地域全体の滞在価値向上にもつながっています。ワインは旅の思い出ではなく、“土地の記憶を持ち帰る体験”になるのです。
■ 文化:発酵の歴史を次世代へ
湯浅は醤油のまち。ここには“発酵文化の起点”があります。
ワインはその歴史を未来へと橋渡しする“新しい発酵文化”。
形式は変わっても、本質は一本の線でつながっています。「受け継がれる文化」を次の時代へ、わかりやすく、美しいかたちでのせて届ける──それが和歌山湯浅ワイナリーの存在意義です。
■ 教育:農の現場が「学びの現場」へ
栽培には挑戦があり、失敗があり、改善があり、そのすべてが“生きた教材”です。地元の学生や若者が実際の農作業を通して学ぶ機会を広げることで、農の担い手不足という社会課題にも一石を投じています。「農を再び憧れの職業へ」――この目標もまた、ワイナリーの大切な役割です。
■ ワイナリーの真価は、“地域を一つの生命体として動かす”こと
こうしてみると、和歌山湯浅ワイナリーは単なる製造所ではなく、「地域の未来装置」と言えます。
農地を守り、文化をつなぎ、観光を呼び込み、人を育てる。
一本のワインは、そのすべての要素の結晶です。
【第8章 未来構想 ― 和歌山から「育つ産業」へ】
畑を耕し、土地を整え、文化を継承しながら醸造を重ねてきたこのプロジェクトは、まだ途中段階にあります。和歌山湯浅ワイナリーの目指す未来は、「ワインを完成させること」ではなく、「ワインを通じて新しい地域産業を育てること」です。
■ ゴールは“オール和歌山産”の確立
須谷での10年の経験により風土の理解が深まり、千葉山では「和歌山に最も適した品種・最も適した土地」による本格的な挑戦が始まりました。将来的にはこの栽培を広げ、**「和歌山で育ち、和歌山で醸されるワインを中心軸に据える」**ことを目標としています。
これは単に“原産地表記を増やす”という話ではありません。
――“地域の土壌を、地域の産業に変換する”
その未来図の実現です。
■ 持続的栽培と後継人材の創出
新しい畑の整備において、石油・エネルギー部門のスタッフも加わったことは象徴的でした。これは「事業部の壁を越えた挑戦」であると同時に、次世代の担い手育成の観点でも重要な意味を持ちます。
畑が続く限り、人も育つ。
技術が蓄積されれば、地域内で“学びの循環”が生まれる。
ワインづくりは、土地と同時に人も耕す産業です。
■ 新しい「和歌山らしさ」をワインで表現していく
リヨンのワインがフランスを映し、トスカーナのワインがイタリアを映すように──
いつか「この一本は“和歌山”だ」と言われる日を目指しています。
その象徴となる品種群(マルスラン/奇跡の雫/富士の夢/紀州の夢)は、単なる品種名ではありません。
それは「地域の土と時間を味わうための手がかり」です。
■ ワイン × 未来の“風景”
この取り組みが成熟したとき、和歌山の山の中腹には新しい風景が広がります。
段々畑の再生、千葉山のぶどう畑、そこからできる和歌山のワイン──
それは、地域の記憶が“景色として残される形”になります。
文化とは、建物ではなく“続く風景”です。
【終章 メッセージ ― ワインは土地の記憶】
和歌山湯浅ワイナリーのワインづくりは、「飲みもの」をつくる仕事ではありません。私たちがつくっているのは“土地の記憶”であり、“文化の延長線”です。一本のボトルの中には、風・土・気候、そして畑を耕した人の手と時間が息づいています。
みかん畑が果てた土地を起こし、再び実りの景色を取り戻すこと。標高の高い山に風と光の通り道をつくり、新しいぶどう畑を守り育てていくこと。“形のない価値”を形にする営みは、気候や経済といった外的条件に揺さぶられながらも、地道に積み重ねることでしか実を結びません。
しかしその過程こそが、未来へ手渡すべき財産です。
ワインは、完成品ではありません。
育ち続ける存在です。
そして、その根にあるのは「地域を大切に思う心」です。
ワイナリーという場所は、畑から醸造所、そして人々の暮らしへとつながる一本の線の“結び目”にすぎません。私たちが本当に育てたいのは、「和歌山という土地そのもの」なのかもしれません。
この地だから生まれる味がある。
この土地だから宿る香りがある。
――そのすべてを未来へつなぐために、私たちは今日も畑に向き合います。
